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2015年12月11日

2015年〜2016年 年末年始のお休みのご案内

年内は、12月28日月曜日までカウンセリング、コンサルテーションのご予約を承ります。
2016年は1月5日火曜日から事務局の営業となります。どうぞよろしくお願い致します。

posted by AA-J at 10:15| 「続・1%の奇跡」

2015年12月09日

2,なぜアメリカの治療で治るのか?

日本型アトピー治療 勉強会テキスト3

「原因を特定できているからだと思う。」

ドクターの手紙から

アメリカのアトピー治療は患者の持っているバクテリアの種類と量を調べ、そのバクテリアを退治する適切なお薬を使い、皮膚を治療して、かゆみを完全に止めます。

◆アトピーの方は,
「ある種のバクテリアを体内に取り入れてしまう」特徴を持っていることが多いととドクターは言う。

◆アトピーの原因は,
1,バクテリア型 (典型的アトピー性皮膚炎)(と、たばこの影響)
2,空気のアレルギー
3,接触性アレルギー
4,ヘルペスなどのウイルスの影響
5,女性特有の湿疹など
6,感染症

などなど、患者さんそれぞれに原因があり、悪化させる引き金もそれぞれ違う。まず最初に全体の治療をして大火を消し、原因を特定し、そこを集中して治療します。

ドクターの手紙から
治療は両親、そして家族の病歴を聞くことからはじまります。
患者さんによってそれぞれ異なる、アトピーを引き起す要因を理解することがもっとも重要なのです。

1 病気にかかった年齢
2 その人、もしくは家族のアトピーの経歴
3 引き金となる要素
  a.感染
  b.間違った入浴や肌の潤わせ方
  c.肌を露出することからの刺激
  d.日焼けや発汗
  e.精神的ストレス
4 過去、そして現在の治療の再検討

過去、そして現在の治療の再検討、以前と現在の治療を見直すことは、特に今後リバウンドが起きた際に、その症状をコントロールする為にとても重要となります。アレルギー歴、職業、衣類、ペット、趣味などもすべて重要な情報です。

肌の検査はその人の体の概略を知る役割をします。肌タイプ、皮膚炎の分布状態、感染の形跡、引っかき傷の様子、これらすべてが引き金となる要素としての手掛かりを与えてくれるのです。

(日本型アトピー患者)患者さんには最初にコルチコルステロイド注射を初期の治療として行い、そして同時に内・外服用の抗生物質をバクテリアコントロールのために使用します。

適切なコルチゾン製品の使用法、そしてさらに患者さんには、スキンケア、かゆみをコントロールする医薬について、正しい睡眠、肌を清潔に滑らかにすることを学ぶことからはじめます。
posted by AA-J at 10:31| ---勉強会テキスト

2015年12月02日

AA-J代表 明石郁生

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私の個人ホームページを通じて既にアメリカで治療をしている患者さんと知り合うことができた。98年頃だと思う。そのころ私は、症状はひどいながらも、半ば「私の人生はこんなものだ」とあきらめ気分で、それにしても何とか仕事をして、飯をくわなければいけないのですべての時間を症状のケアと仕事に費やしていた。
「アトピーに効く○○○」などのアトピー情報やらなにやらに腹の底から怒りを感じていて精神的に不安定な毎日だった。
なにもかもが、にせものに見えて、はらの底にいつも重く痛みがあった。それでアメリカの彼の情報も信じることができずにいた。「日本でこんなに手を尽くしても治らないのに」、「アメリカで治るなら日本でも治るはずだ」と日本的に考えていたのだ。精神的に落ち込んでいて、ものごとの判断の可動域が狭い状態だったと思う。
6ヶ月悩んで治療を受けた、結果はあれよあれよという間に治った。
  なんでもっと早く治療を受けなかったのか激しく悔やんだ。なにかと両親祖母に多大な迷惑をかけてきたことを思うと、頭が混乱するほど悔しい思いがした。私や私の家族があれほど費やした事はいったい何だったのだ?

2000年〜2004年の私です↓完全完治をしています。この体験をこれからの方にお伝えする活動をしてます。
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18歳で成人型アトピー発症
30歳で日本型ステロイドリバウンドで倒れ、死の淵をさまよう
1999年 36歳の時運命的な出会い「ドクターマセソンアトピー治療」で完治
2001年 「アトピーアソシエイションジャパン」発足
以後、日本のアトピー患者が閉鎖状況に閉じこめられないよう、自分の体験情報を伝導するべく活動。「アトピーを治して自分らしく生きる」を実践している。

「医療先進国では、アトピーは適切な治療が必要な単に病気だ、あなたのせいではない。完治した元患者として言う、 もうあれこれ非科学的な情報に惑わされるのはやめた方がいい、あなたの大切な人生の時間とお金がもったいない。高度な医療で自分らしくアトピーを治して、あなたの長年あとまわしにしていた才能を開花させようではないか。そして、その喜びを回りの人に分かち合おうではないか。私の体験と渾身の情報があなたをサポートすること心からお待ちしている。」     

明石 郁生

■1997年4月10日 リバウンドで気が狂いそうなくらい苦しくて具体的に死を意識していた。日本での旧来の間違ったステロイドの知識しかない人、アレルギーとアトピーを混同している
人に無責任な事をいわれたら、または、新聞や本や雑誌の人ごとな記事をみたら思い出してほしい。 「自然治癒力で治そう」という患者でもない人に無責任に言われたらこの作品を思い出してほしい。 「薬を使わないで治す」という自分では決して使わない業者の宣伝をみたらこの作品を思い出してほしい。 適切な治療をしてからこれらは試せばいいのだ、 精神力には限りがあるのだということを思い出してほしい。

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作品名: 97年 春。

ゴールがあるのなら あと何キロなんだろう?あと何日かかるのだろう?そして 僕は今、どのへんを走ったり歩いたりしているのだろうか?
「腕立てを100回やったら治してやる。」と言うのなら腕が折れたってやってやる。
「あしたまで企画書をかけば、、」と言うのなら寝ずに書いてやる。
「42.195キロ」を走ったら治してやる、、」と言うのなら這ってでも完走してやる。

  何をすればいいのだ?何を代償に支払えばよいのだ?がんばれることは何なのだ?
どんなトレーニングもレッスンも受けよう。どんな試験も突破しよう。どんな断食もしよう でも、

計画は進んでいるのだろうか?ぼくは間違っているのだろうか根本的に。
まったく間違ったレースに参加してしまったのだろうか?
「バカは死ななきゃ治らない」の典型的なパターンなのだろうか?本当にほんとうに、 ゴールはないのだろうか?

いまどのへんを走っているのだ?折り返しなのか
給水所はどこだ? 前のランナーはここを通ったのか

いつ頃通ったのだ?ペース配分ができない

闇夜の中の地平線にかいま見えた給水ポイントはただの信号機だった。
交差点の信号機は赤の点滅だ。どっちへ行けばいいのだ

レースのスタッフもコース先導車もボランティアも医師も見あたらない。給水所だと思ってペースをあげてここまで走ってきたせいで 息が切れ呼吸が苦しくうずくまる。全身の炎症と気が狂いそうなかゆみと生きることをやめたくなる不快感と レースに参加した後悔となぜこんなに苦しいのか分からずに混乱して混乱して 自分が誰で、何をしている途中で、今年で何歳なのかと考えたけれど思いつかずに 別れた彼女のことを考えようとしたけれど、なみだが先にでて、彼女のことをこんなにも好きだったのかと今頃気がついて、ほんとにあほくさくて自分のために悔しくて泣いてしまった。

 季節は春だ。
4年前に「ステロイドをやめる。」と気軽に思った春だ。
これからは中堅の営業マンなんだから皮膚も治してかっこいいできる奴になろうなんて アホなテレビ的なことを考えてそうしてみた。結果はこんなだ。

いろんな奴にいろんな事を言われた。誰も責任をとってくれないことを知った。
「お金がない」と言うことが 具体的にどんな事で どんな風に世間とトラブルになり どんな気持ちになり どんなにみじめで悔しいか具体的に知った。

「働けない」と言うことが 毎日がこんなにも憂鬱で腹の底が痛く 何を聞いても見ても面白くもおかしくもなんともなくなるものかを知った。

親にsosを出せるようになるまで4年もかかった。一人ではほんとにリアルに死んでしまう事を理解した。 包帯だらけでしかも浸出液がにじんでいる黄色く変色した包帯だらけで コンビニでお金を出すたびにいやな思いをして病院にいくのにバスに乗れずに タクシーにのって交通事故に間違えられてなんだかうまく答えられずに、。
でもそんなこともどうでもよくなった。

病院の行き帰りに期待に胸と財布を膨らませた新社会人達 を見かける。
彼女たちのブラウスは春色にきらきらしつるりとしている肌の上にきちんとボタンをしてかけられている。と思っている。

4年、シャツをきていない。くび、うでの傷口から血がくっついてしまうから。
軟膏を塗っているので、くっつくから。
そんなこともどうでもいい。
「治してやる代償として、、」 一生、結婚できないぞ。と言われたら、、楽勝です。と答えます。ビールもワインもやめろ。と言われたら、、全然楽勝ですよ。と答えます。
ほんとうです。かみさま。

失うものはおおかた失ってきた。 と思う。もうそんなに若くもないし。
交差点でうずくまりながら涙と鼻水を流しながら過去を呪っている。
今日は素面だけれど。
 97/4/10

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2010年プロフィール

私は1963年秋田県生まれで茅ヶ崎在住10年になります。重度の喘息,アトピー性皮膚炎,リバウンド症状で闘病人生を彷徨いましたが,奇跡的にアメリカの医療で完治させることができました。その後,生きづらさを自覚しAC(アダルト・チルドレン)として複雑性PTSDを抱えていることを知りました。米国の臨床心理学を学び,自身の回復を生かして,生きづらさを抱える家族や子ども,夫婦,経営者らをサポートしています。
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1963年生まれ:
1986年 明治学院大学第2経済学部卒
(株)東北新社
(株)ミクプランニングを経て独立  (有)ジャパンマーケティング設立
AIU/CSPP臨床心理大学院 「家族と子ども」専攻 修了 米国臨床心理学修士号
日本家族と子どもセラピスト学会員 
日本嗜癖行動学会員
日本トランスパーソナル学会員

アトピーアソシエイションジャパン 日本代表 
湘南 茅ヶ崎 家族とACカウンセリング 代表

趣味:詩を書くこと,小説を書くこと, おやじサーファー 、ロバート・B・パーカー、スペンサー研究家

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posted by AA-J at 09:37| ---AA-J 代表プロフィール