大阪の社会学者さんから論文を送っていただきました。
「アトピーの病因をめぐる言説ー朝日新聞記事の分析よりー」駒田安紀
日本保健医療行動科学会雑誌 地域包括ケアと行動科学 2017 Vol .32 No.1 第32巻 第1号 2017年6月1日発行 日本保健医療行動科学会
私は一読させていただいて、たいへんな情報収集力、分析力へのご尽力に敬服しております。ここに敬意を表してすこし、引用させていただきます。
駒田さんは、アトピーの記事が増え始めたのは1985年を起点として、2014年までの30年間における病因をめぐる言説の特徴を分析されておられます。
1985年〜1994年には食生活を病因をとする言説、
1995年〜2004年には生活・環境を病因とする言説が中心、2005年〜2014年には目立った傾向は見られないとのべています。
また、1985年〜1994年には「ステロイドバッシングの時期」と重複している。
1995年〜2004年は「ステロイドへの批判が高まり」他の治療法での改善を試みる動きが盛んになったと述べています。
このころ、「アトピービジネス」の持つ影響力が大きくなった時期と重なると、私は自身の体験で思い返しています。
駒田さんによれば、「アトピービジネス」の発展にともない、効果のない商品などでの健康被害など、治療をめぐる事件が起こるようになった。1998年、日本皮膚科学会に、アトピー性皮膚炎・不適切治療健康被害実態調査委員会が設置され、この医学界の動きにより、アトピービジネスは、紙面上での扱われ方はすくなくなっていった。
とはいえ、アトピー患者数は減少しておらず、(注:日本では、明石)確実な治療法が確立したわけでもない。新聞記事上からは姿を消したものの、アトピー治療法における近代化批判は未だに水面下に動いていると推察している。(駒田さん)
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私、(明石郁生)は、1982年(18歳)で発症し、ステロイド軟膏治療を1993年(30歳)まで続けました。食生活や生活環境を指摘されていたことを覚えています。
30歳で、ステロイドをやめた途端に、思い返すのも恐ろしいリバウンド状態を経験しました。心身医学的には、危機的状況で、私はたまたま運良く通り過ぎようとしていたのかもしれません。
36歳のときに、マセソン医師のアトピー治療に出会い、現在に至ります。
私は、臨床心理士として、個人、個人の人生を守る選択の一つとして、アメリカの高度に進んだアトピー治療についての活動を続けています。それは、
どうして、日本では治せずに、アメリカの医療は治せるのか? について、抗議するような活動ではありません。
オルタナティブな医療(既得のものに取ってかわる新しいもの。)のひとつとして。
ゆえに、「アトピービジネス」と非難、攻撃されていた時期もありましたし、とてもつらい時期でした。
それでも、私は、過去の私のような方々に、ご縁を適切に育んで、高度な医療を受ける選択肢の活動を続けていきたいと思っています。
明石郁生

2017年07月17日
「アトピーの病因をめぐる言説ー朝日新聞記事の分析よりー」論文 駒田安紀さん
posted by AA-J at 14:19| 「続・1%の奇跡」