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2011年09月21日

ありがとう

12歳のアトピー発症以来、私は人と正面から向き合うことを避けていました。そればかりか、自分と向き合うことすらままならない人生を送ってきました。それが昨年11月のマセソン先生との出会いをきっかけに、全てが好転し、まるで生まれ変わったような気がしています。

私がアトピーを発症したのは4年半に渡るアメリカ生活を終えて日本に帰国した頃でした。最初は頬や額のムズムズとした痒みから始まり、段々とその範囲が広がっていきました。思春期ということもあり、患部の赤みが気になってなかなか学業に集中できなかったのを覚えています。それでも、中学校では部活と生徒会に打ち込み充実した生活を送ることができました。
最も苦しかったのは高校生の頃です。自意識過剰に磨きがかかり、まともに人の目を見て話すこともできずとても辛かったことを覚えています。特に女の子とまともに話した記憶がありません。中学でやっていた陸上を高校でも続けていましたが、2年生の冬には辞めてしまいました。本当の気持ちを抑圧して人と向き合わないことでストレスは鬱積してゆき、やがて私は孤立しました。近しい友人は何人かいましたが、アトピーの悩みは打ち明けることができませんでした。表面的に取り繕うだけの私に級友たちは呆れ、次第に離れて行きました。学校に私の居場所がなかったので、登校するふりをしてサボっていました。家に帰ればそのことで親と口論になり、毎晩喧嘩をしました。「こんな人達と暮らしているから辛いんだ。大学に行けば何か変わるはずだ」という、根拠のない願望にすがりながら何とか高校を卒業しました。

大学入学からほどなくして私の期待は打ち砕かれました。憧れた一人暮らしは初めてのことの連続で、食事のバランスが偏り、生活のリズムも不規則になってアトピーの症状はさらに悪化しました。環境は長野にいた頃から大きく変化したものの、悩みの根本は何一つ解決されないままでした。顔のひび割れや炎症が顕著な時は鏡の前で硬直したまま一歩も家の外にでることができず、最初の一年間で取得できた単位はわずか半分余り。二年目の春には「今年こそは」というまたしても無根拠な意気込みに満ちていたのですが、ひと月して挫折し、不登校になりました。

私をここまで悩ませたのは私自身の「こうでなきゃいけない」といったプライド、「肌がただれていたら気持ち悪いと思わるのではないか」という不安でした。もっと言うと、症状の度合いよりも自分が他者の目にどう映っているのかということが気になって仕方がなかったのです。私は自分の症状が軽度であることを自覚していました。それ故に辛さを訴えても相手に伝わらなかったり、重度のアトピー患者を引き合いに出されて自分の悩みを矮小化されたりしました。私はそのことに落胆し、感情が振り回される自分の心の弱さに怒りを覚えました。
「もう耐えられない、終わりにしてしまおう」と思ってある日父親にメールを送ったところ、心の叫びが届き、全力で支援してくれるようになりました。従来の治療以外に、精神療法、針治療、漢方など数々の療法を試みましたが、成果はなく、オレゴンでの治療を決意しました。この治療に対して懐疑的だった父を説得するのは骨が折れましたが、今の体調を考えると本当に良い選択だったなと思っています。

私はこの春2年ぶりに大学に復学し、キャンパスライフを全うしています。アパートの部屋に引きこもっていた時はあんなに遠く感じていた校舎ですが、今では夏季休業中も足しげく通い、学業に励んでいます。かつては考えられなかったような課外活動にも自発的に参加し見聞を広げています。今の充実した毎日はオレゴンのドクター、明石さん、高澤さん、そして父のサポートなしにはあり得ません。本当にありがとう。アトピーに感謝できる日もそう遠くない気がしています。


2011年9月6日
posted by AA-J at 12:19| Comment(0) | ★ハッピーボイス
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